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和歌山地方裁判所 昭和44年(手ワ)108号 判決

原告 紀北信用組合

理由

一、請求原因第一項ないし第三項の事実は、当事者間に争いがない。

二、以下、被告の抗弁について判断する。

(一)  本件手形裏書の性質について。

《証拠》を綜合すると、

1  本件手形の受取人である訴外奥野昭夫は、昭和四三年五月二四日頃より原告組合山東支店に対し、普通預金口座を有していたものであるところ、同支店長の勧誘により同年一一月七日原告との間に当座勘定契約を取り結び、つづいて同月八日、右約定に基づく当座預金口座開設の資金として入金するため、現金一〇万円と額面五〇万円の本件手形を原告組合に対し振込んだのであるが、本件手形は、その際前記の如く白地式譲渡裏書により原告に交付したものであること。

2  ところで、原告組合における右当座預金口座開設の手続としては、まず訴外奥野が振込んだ現金一〇万円と本件手形は、一たん同月八日付で訴外人の従前の普通預金口座に入金され、つづいて同日同口座より金額六〇万円の払戻しをなし、更に同日付で新規当座預金口座へ右六〇万円を振替入金した如く取扱つていること。

3  しかして、訴外奥野が原告との間に取り結んだ当座勘定契約の規程によれば、当座勘定は、現金のほか原告組合が承認した小切手、手形および諸証券等を以つて入金することができること、右小切手、手形および諸証券等を以つて入金した場合は、その取立を了した上でなければ支払いに応じないこと、右小切手、手形および諸証券が不渡りとなつたときは、原告組合は、その金額に相当する受入れを取消すか、若しくは代り金を請求する。不渡りになつたときは、原告組合は特に依頼があるもののほか手形上の権利保全の手続をしない旨約定されており、また原告の普通預金規定にも大要右と同旨の約定がなされていること。

以上の事実が認められる。(《証拠》省略)

しかして、以上の認定事実を以つてすれば、本件手形の訴外奥野より原告に対する前記裏書(白地式)は、形式は譲渡裏書であるが、その実質は本件手形金を取立の上新規に開設することになつた前記当座預金口座への払込み方を委任する趣旨を以つてなされたもの、いわゆる隠れた取立委任裏書と認めるのが相当である。(したがつて、原告組合と訴外奥野との間の当座預金関係、すなわち消費寄託は、本件手形金の取立完了をまつてはじめて成立することになる。)

ところで、隠れた取立委任裏書の性質および効力については、いわゆる信託裏書説に従うのを妥当とする。そして、右説によれば、かかる裏書も、通常の譲渡裏書の形式を採つた以上、手形上の権利移転の効力を有するものと解すべきであるから、被裏書人は完全な手形債権者となり、手形所持人として自己の名を以つて手形取立のためすべての行為をすることができるのであるが、反面債務者が被裏書人に対する人的抗弁を以つて対抗したときは、被裏書人は実質関係を主張してそれを免れることはできないことになる。また、隠れた取立委任裏書の被裏書人は、形式上は手形権利者とはいえ、実質は裏書人より手形金取立の委任を受けたに過ぎず、手形上の権利行使について独立の経済的利益を有しないものであるから、債務者が実質関係を主張して裏書人に対する人的抗弁を以つて対抗してきたときは、被裏書人は当該人的抗弁の存在につき善意であつても、これを拒否することはできないものである。更に、被裏書人が裏書人より委任契約を解除されるなどして当該手形を裏書人へ返還すべき関係に立ち至つた場合には債務者は、右の関係を理由にして無権利の抗弁を主張し、被裏書人の手形上の権利行使を拒むことができるものと解されるのである。以下、右の見地から被告の主張する抗弁事由を検討する。

(二)  原告の本件手形返還義務について

1  《証拠》によれば、原告組合が訴外奥野との間に取り結んだ普通預金規定および当座勘定規程には、前記の如く預金者が小切手、手形等を以つて右各口座に入金した場合それら小切手、手形等が不渡りとなつたときは、当該小切手、手形等はそのまま返却し、それら小切手、手形等の額面金額に相当する受入れを取消すか、若しくは代り金を請求するものとし、特に依頼があるもののほかは手形上の権利保全の手続をしない旨定められている事実が認められる。そして、右規定に徴すれば、前記の如く本件手形が不渡りとなつた以上、原告は直ちに訴外人に対し本件手形を返却し、前記の如く、各口座において預金扱いをした本件手形金相当額につき、その受入れを取消すか、若しくは同額の現金の支払いを請求するのが妥当な措置であると考えられる。

しかしながら、右の各規定は、手形等が不渡りとなつた場合、原告組合において短期間に煩瑣な権利保全手続をする困難を免れ、かつ不測の損害を蒙ることを防止するため、簡便な事後処理の方途を選択することができる権利を確認した趣旨のものと解するのが相当であるから、本件手形が不渡りとなつたからといつて、所持人である原告が預金者である訴外人に対し必ず本件手形を返還しなければならないということにはならない。前叙の如く隠れた取立委任裏書の被裏書人は、完全な債権者として、自らの名を以つて手形上の権利を行使することができるのであるから、裏書人より取立委任契約が解除されるまでは、当該手形の不渡り後と雖も、手形所持人としての権利行使が制約されるものではないといわねばならない。この点の被告の主張は理由がない。

2  次に、《証拠》を綜合すると、訴外奥野が、昭和四四年一〇月二八日付書留内容証明郵便を以つて、さきに原告との間になした本件手形の取立委任契約を解除する旨の意思表示をなし、右書面が同年一〇月二九日原告組合山東出張所に送達されたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

ところで、訴外人が原告に対し本件手形の取立委任をしたのは、訴外人が原告との間に新規に当座預金口座を開設することになり、本件手形金をその資金に充当するためであり、本件手形金は、現金一〇万円とともに、一たん従前の普通預金口座に入金され、続いて同口座より払戻しの上、昭和四三年一一月八日当座預金口座に金六〇万円として振替入金する手続がとられていることは、前叙のとおりである。

そして、《証拠》を綜合すると、訴外人は右当座預金口座より同年一一月一一日金五万五、三五〇円の払戻しを受け、同年一二月三一日金三〇万円を同口座に入金し、更に昭和四四年一月六日金三四万四、六五〇円の払戻しを受けていること、そして、その後は同口座の利用はなく、現在では前記当座勘定契約は解約されていることが認められる。(右のほか、昭和四三年一一月一一日、同口座より金二六万七、六〇〇円および金一九万五、三〇〇円が払戻しされているが、これについては、原告が小切手所持人に対してなした支払いが、訴外奥野の計算に帰せしめることのできる有効な弁済であるかについては少なからぬ疑問があるので、しばらく措く。)すなわち、訴外人が本件手形の取立委任契約解除の意思表示をなした昭和四四年一〇月二八日の時点においては、原告組合の訴外人に対する貸越しはなく、本件手形金を取立てて預金を満たすべき必要は全く存しなかつたものと考えられる。(手形の隠れた取立委任裏書を受けた銀行等の金融機関が、当該手形の取立前に預金扱いをした口座より払戻しをする場合は、右払戻しは銀行等の顧客に対する貸付、すなわち手形不渡り時を弁済期限とする貸付と解すべきであるから、手形が不渡りとなれば、銀行等は当然手形裏書人である顧客に対し貸付金返還請求権を行使することができるわけである。そして、銀行等が、預金契約の際、前記(一)の3に認定の如き約定を附することを一般とするのは、右の貸付金返還請求権を、実質的に、かつ簡便に行使する目的のためであると解することができるのである。したがつて、委任契約は各当事者がいつでも解除することができるのが建前ではあるけれども、手形の隠れた取立委任裏書の裏書人が当該手形の取立前に預金より払戻しを受けており、しかも前記の如き特約が附されている場合は、裏書人は、右貸付金を返還し預金を充実することなくしては、被裏書人に対する当該委任契約を自ら解除することはできないものと解するのが相当である。本件においても本件手形金の取立を条件として入金扱いとなつている預金からの払戻しが残存する限り、訴外人は単なる解除の意思表示だけでは本件手形の取立委任契約を有効に解除することはできないといわねばならない。

そうすると、本件手形の取立委任契約は、訴外人のなした前記解除の意思表示の送達により有効に解除されたものというべく、原告は、本件手形を訴外人へ返還すべき義務があるものである。

そうすると、原告は、形式的には本件手形の所持人であるが、既に無権利者であり、手形債務者である被告に対し本件手形上の権利を行使できる関係にはないものといわねばならない。

この点の被告の主張は理由がある。

三、以上のとおりとすれば、原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却する

(裁判官 諸富吉嗣)

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